大判例

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名古屋地方裁判所 昭和46年(ワ)454号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕<証拠>及び右一の事実を総合すれば、つぎの事実が認められる。

本件事故は、昭和四四年一月二三日午後四時四二分頃、亀山市東御幸町三二番地先国道一号線上の交差点で発生した。現場の状況は別紙図面(×印がが衝突地点を示す。)のとおりで、右国道がほぼ東西に通じ、これに県道亀山・芸濃線が南北に交差している。国道の幅員は10.65メートル、県道のそれは10.35メートル、交通整理のための信号機(別紙図面(イ)乃至(ニ))が設置されていた。信号機は三色式で、国道側の信号時間は青四一秒、黄三秒、赤二二秒となつていた。路面はアスファルト舗装、平垣で、当時乾燥していた。附近は郊外地で、見通しはよく、交通極めて頻繁なところである。

被告小笠原は大型貨物自動車(長さ10.56メートル、幅2.49メートル、高さ2.83メートル、最大積載量一〇トン、当時約一二トンのラワン板積載中、乗車定員二人、当時交替運転手大瀬戸清康が同乗中以下A車という。)を運転し、右国道を西から東へ向つて進行して来た。時速五〇―五五キロメートルのスピードであつた。A車が本件交差点の停止線(別紙図面の停止線(1))から凡そ五〇メートル手前まで来たとき、対面する信号機(別紙図面(イ))の信号は黄になつていたが、同被告はこの信号に気付かなかつた。そして、A車が右停止線の手前約一〇―一二メートルまで来たとき同被告は始めて対面する右信号が黄になつているのに気付いた。これを見て、同被告は一瞬躊躇したが、その儘本件交差点を突切ろうと進行して行つたところ、本件交差点の西側横断歩道あたりへ差しかかつたとき、右斜め前方に、南北道路を南から北へ向つて、本件交差点を進行して来る一台の普通貨物自動車(マツダライトバン、それが五木田実運転の自動車であつた。、以下B車という。)を発見した。約9.7メートルの距離であつた。これを見て、同被告は突嵯に急ブレーキを踏むと共にハンドルを左へ切つて衝突を避けようとしたが既に間に合わず、別紙図面×の地点で、A車の右前部とB車の左前フェンダーから助手席側ドア附近が衝突した。衝突後、A車は別紙図面(イ)の信号機の電柱をへし折り、ガソリンスタンドの計量器を押し倒し、そこの照明灯鉄柱に突当り、その根元のコンクリート台に左前輪を乗り上げて停止した。その際、A車の残したスリップ痕の長さは右が21.5メートル、左が20.8メートルであつた。

五木田実は、B車(長さ3.7メートル、幅1.48メートル、高さ1.405メートル、マツダライトバン)を運転し、南北道路を南から北へ向つて進行して来た。そして、本件交差点へさしかかつたとき、対面する別紙図面(ニ)の信号が赤であつたので、本件交差点の南側横断歩道上附近に停止して信号の変るのを待つていた。やがて、B車は発進して本件交差点内へ進入して行つた。B車が進入して行つて、国道のセンターライン附近まで行つたとき、別紙図面(ニ)の信号がすでに青であつたことは間違いない。右センターラインを越えた直後、別紙図面×の地点で、B車の左前フェンダーから助手席ドア附近とA車の右前部が衝突し、B車は別紙図面の信号機(イ)のあたりまで横すべりに滑つて行つて停止した。この衝突によつてB車は大破し、五木田実は前示一、の重傷を負い、その後死亡するに至つた。

以上の事実が認められる。

右認定の事実によれば、A車が本件交差点へ進入するときには対面する信号は赤になつていたと推定される。そしてB車が発進して本件交差点に進入したのは対面する信号が青になるかならぬかの時点であつたものと推定される。そうすれば、本件事故はA車を運転していた被告小笠原の信号無視が主要な原因をなしているといわなければならない。而して五木田実の過失の有無を考えて見るに、同人は信号が青になるかならぬかに発進しているのであるが、若し同人がその際左前方の交通状況に注意し、その安全を確認してさえおれば、いかにA車が不法に進行してくるとはいえ、本件衝突を回避することは可能であつたであろうと認められるので、その点に若干の過失なしとしない。右両者の過失の割合を勘案すれば、被告小笠原の過失が九〇%五木田実のそれが一〇%と認めるのが相当である。 (藤井俊彦)

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